母は、回復期の期間に入り、リハビリ専門の病院へ転院しました。
リハビリテーション病院に関しては、こちらの投稿記事もご覧になって下さい。
母は、認知機能を失っていましたのでリハビリは容易なものではありませんでした。
転院してから間もなく、家族が思い知らされるような状態を目にすることになりました。
病院での生活は、リハビリとリハビリの間はベッドで休めるのですが、
母の場合は、入院の初期はベッドから一人で立ち上がり徘徊のような状態となってしまったようで、以下のような処置をされてしまいました。
・ベッドで勝手に立ち上がらないようにする腰ベルトによる固定処置
・経管栄養のチューブを勝手に抜かないようにするミトン手袋の処置
・車いすに固定された状態でナースステーションに座らされてる処置
*これらの処置は、病院での安全のための処置で家族に同意書を求められます*
安全上の観点でしょうがないこととは思いつつも、家族としてこの状態を見ることは耐え難いものがありました。
家族が見守っていれば、上記のような状態は避けることが出来たため、
私と姉は、時間が許す限り面会時間の昼から夕方までほぼ病院へ行くことにしました。
上でも書きましたが、リハビリでの改善は進まなかったですね。
運動機能改善のリハビリは行っていましたが、手添えで10mくらい歩けるのが限界でした。
食事のリハビリは殆ど行われていなかったので経鼻での経管栄養は引き続き行われました。
口から食べれるようにすることを積極的に進めるSTさんもいる(NHKのプロフェッショナル)ようなので、母の入院したSTさんにはもう少し頑張って欲しかったので残念でなりません。
そのSTさんは、最終的に胃ろうを進めてきました。たしかに胃ろうは介護する側からすれば楽だと思いますが、母の場合は胃ろうを抜去する可能性があったため胃ろうにする返事はしませんでした。
ただ、胃ろうにしない場合、いつまでも鼻からチューブを挿入されるので交換時は苦しそうでした。(例えるなら、チューブ交換のたびに胃カメラを挿入されてるようなものだと思います)
ここからが、家族の戦いの始まりでした。
面会中に母にお水とか柔らかい食べ物を差し出して食べるように促すと、少しですが食べてくれました。それもむせ込みもなく食べてくれたので食事介助をすれば食べれるようになるのではないかと思いました。
入院して2か月経ったころだったと思いますが、
昼食事と夕食時に、私と姉が病院に出向いて(平日は姉が、休日は私が行う)食事介助をすることにしました。
最初、食事の間は母は周りの音とか動きをすごく気にしてあまり食べてくれませんでしたが、入院患者さんが落ち着いた時とか周りが目に入らないような位置で食事を取るようにすることで、徐々に食事量が増えるようになりました。
毎日病院通いでの食事介助は本当に大変でしたが、2か月ほど経ったころには食事の2/3程度は食べれるようになりました。医師と何回か相談し最終的に経管栄養を外すことができました。
ただ、正直、病院で食事介助を行ってくれたらと思いましたが・・・・・・・。リハビリにならないからやらないのかな?と今でも思います。
経管栄養が外せることになった時には、もう退院の時期(6ヶ月)になっていました。
ここから、在宅での介護の準備に入りました。
コメント